奈良一刀彫の歴史について

平安の時より多くの人々に親しまれてきた、
奈良一刀彫の歴史についてご紹介。
奈良一刀彫の歴史について

奈良人形一刀彫

鋭く豪快な刀法で彫刻し、その上に金箔や岩絵の具を用いて華麗で古雅な極彩色を施す独特の様式を持つ奈良人形一刀彫。

多くの人に親しまれ、日本の木彫界、各地の一刀彫と称する木彫人形に大きな影響をもたらし発展に貢献してきました。

奈良人形は平安時代末期に春日若宮祭礼の田楽法師の笛吹笠や島台、盃台を飾るのに用いられたのが始まりとされています。

『岡野家古文書』に「桃山時代禁裡御所の御下命でしばしば高砂等の木彫彩色人形を作る、世にこれを奈良人形と云ふ」とあり、当時奈良人形という呼称が一般に定着し、南都を代表する、名物的存在になっていたことが知られる。

奈良人形一刀彫

木彫芸術の完成

明治の大変革期に現れたのが奈良人形中興の祖と仰かれる森川杜園である。

森川杜園は画工、狂言師としての素養とが大きな力となって一流の芸風を完成させていった。

30代初期の「後高砂」中年期の「武内宿禰」晩年の傑作「福の神」生涯を通して彫り続けた「鹿」等、奈良人形独特の豪快な断面を鋭く生かし、そこに力強さと重量感が備わった作品は従来の奈良人形ではなく森川杜園独自の木彫芸術の完成であると共に、又現代に於ける奈良人形(一刀彫)の大きな礎となったのである。

木彫芸術の完成

奈良一刀彫として

明治30年(1897年)奈良ではじめての美術団体「奈良美術会」が結成。

木彫部門に一刀彫の名工達も参加。

かような時代にあって、奈良人形作家も木彫芸術としての作家意識を持ち始め、 刀法を強調する意味からも「一刀彫」と呼ぶようになる。

明治時代から大正時代中期にかけて「一刀彫」界は活況を呈する。 各地で行われた博覧会や展示会に積極的に各作家が参加、多くの賞を獲得し、一刀彫の名声を不動のものとした。

現在は一概に一刀彫といっても人それぞれの受け止め方があり、木彫や樹脂、 石膏などの素材を使い、展覧会出品作品等の仕事を主に傍ら一刀彫の仕事をする生き方がある。 一方冒頭で述べた様に一刀彫の概念から思い出されるのは岡野松寿や森川杜園 の作品であり、この流れを汲む仕事或るはそれに準ずる仕事を専業にしている人は少ないのが現状である。

—奈良伝統工芸「技と心」よりー

奈良一刀彫として