奈良一刀彫の歴史について

平安の時より多くの人々に親しまれてきた、
奈良一刀彫の歴史についてご紹介。
奈良一刀彫の歴史について

奈良人形一刀彫の発祥

「奈良人形」と呼ばれ親しまれてきた奈良一刀彫の発祥は、約900年前の平安時代末期に遡ると伝えられています。

その起源は、神事のための人形。世界遺産「古都奈良の文化財」であり奈良を代表する古社・春日大社の摂社で行われる「春日若宮おん祭」において、田楽の笛役が頭上に頂く花笠や、田楽法師に装束を下賜する「装束賜り」の席上で用いる盃台を飾る人形に由来するといわれます。

「春日若宮おん祭」は、1136年に始められてから現在まで一度も途切れることなく毎年開催されており、今でも多くの人たちで賑わう奈良の冬の風物詩です。


奈良一刀彫が面と稜線を生かした簡素な形態で彫り上げられているのは、神に捧げる人形として、人の小手先の細工で誤魔化さず事物の本質をあらわすという心構えが元になっているともいわれます。

奈良人形一刀彫の発祥

身近な奈良名物に

平安時代の発祥の頃、奈良人形の製作を担ったのは神事用の祭具を製作する檜物師であり、彩色は元来春日絵所に属する画工が担当して技術が伝えられていきました。

時を経て戦国時代には、本能寺の変の直前に織田信長が安土城で徳川家康をもてなす際に、奈良人形で飾った盃台などを取り寄せて饗応に用いたとのエピソードもあり、上質な人形として奈良の名物になっていたことがうかがえます。


神事祭礼から誕生し、貴人に求められる名品へと高まった奈良人形は憧れの対象となり、やがて庶民の元にも届いていきました。江戸〜明治時代に十三代にわたって奈良人形の制作に携った岡野松壽家に代表されるように数多くの名工が活躍し、奈良人形の世界はぐっと幅広く、身近に親しまれる存在になっていきました。能人形・雛人形・香合・根付など題材も広がり、お祝い事や奈良土産など様々な目的で奈良人形が喜ばれました。


一説には、奈良人形の題材として雛人形が広まった背景に壽貞尼という女性が存在するといわれています。四代岡野松壽の娘で同五代の妻であった壽貞尼が雛人形の名手であり、その立雛が奈良一刀彫における定型となったといわれていますが、残念ながら現存する作品は見つかっていません。

身近な奈良名物に

芸術としての評価 名工 森川杜園の活躍

幕末から明治期にかけて、奈良一刀彫の歴史を語るうえで欠かすことのできない屈指の名工・森川杜園が活躍します。絵師、奈良人形師、狂言師の三職を生業とした杜園は、それまでの伝統を継ぐ作品に学びながらも、挑戦的かつ迫真的な表現と極彩色を特徴とする華麗な作風で奈良人形の新たな扉を開きました。その卓越した技術と豊かな造形性は、単なる職工の域にとどまらない優れた芸術性を示すものとして、竹内久一や平櫛田中といった後世の彫刻家から高く評価されています。

幕末から明治という日本近代化の変革期を生き、内国勧業博覧会やシカゴ万国博覧会で受賞を重ね日本の彫刻史に確かな足跡を残した杜園は、奈良人形一刀彫中興の祖であるとと同時に、日本近代彫刻の先駆け的存在として近年見直されつつあります。

杜園は生涯にわたり正倉院宝物や奈良県下の名宝の模写・模造の制作にも取り組み、古都・奈良の雅やかな伝統の美を造形上の理想と定めていました。

「奈良」への真摯な眼差しを感じさせる杜園の作品は、気迫に満ちながらもどこか心和むような愛嬌を湛えています。

芸術としての評価 名工 森川杜園の活躍

現代の奈良一刀彫

「奈良人形」は、明治30年過ぎから「一刀彫奈良人形」、次いで「奈良一刀彫」と称するようになります。魂を込め一刀両断に彫り上げたような風合いから、春日大社初代宮司水谷川忠起が名付けたとされています。


平安時代に古都奈良の神事祭礼から生まれた素朴な奈良人形は、他の日本文化と同様に江戸時代の文化爛熟期を通じて磨かれ、近代への変革期には森川杜園という稀代の名手の登場により高い芸術性を帯びました。

その後、近現代には節句や結納、長寿などのお祝い事にまつわる飾り物や、茶道に用いる香合、奈良土産の鹿彫り人形や根付、さらには森川杜園に象徴される芸術的な鑑賞物を志す挑戦的作品など、様々な作り手たちの研鑽が重ねられてきました。

現代の奈良一刀彫

そして、現代。

人々の価値観や生活様式が目まぐるしい変化を繰り返すなかで、奈良一刀彫をどのように届けていくのかも、現代を生きる作り手たちの腕の見せどころです。

素材、道具、刀法、彩色方法、モチーフ、用途などに関しても多様性が高まり、奈良一刀彫の定義、解釈についても携わる人それぞれの志により様々な拡がりがもたらされています。

約900年に及ぶ伝統のバトンを未来に繋げられるかどうかの命運は、現代の作り手たちの工夫にかかっています。

いつの時代でもそうであるように、「何を守り、何を変えるのか」の選択と挑戦の連続により、現代の奈良一刀彫も成熟の過程を歩み続けています。

そして、現代。